埼玉県白岡町周辺を探索してくブログ。
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埼玉県白岡町はココ
白岡町について

昭和29年に日勝村・篠津村と大山村の一部が合併し白岡町が誕生。

・面積/24.88平方キロメートル
・人 口/49,346人
・世帯数/17,298世帯
    (平成19年2月現在)

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プロフィール
埼玉県白岡町に住み始めて数年経ちますが、自分の住んでいる町についてあまり知らないことに気づき、白岡をもっと知っていこうとブログを始めました。 これから色んな情報を集めていきたいと思います。
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<まぼろしの縄文の街>

白岡の地にはじめて人類の足跡が記されたのは今からおよそ20,000年ほど前、旧石器時代の終わり近く、地球がまだ氷河に覆われていた頃までさかのぼります。彼らが携えていた石の道具が、白岡の入耕地遺跡(大字白岡)や山遺跡、タタラ山遺跡(大字白岡)などで見つかっていることからわかります。
現在までに確認されている白岡最古の家の跡は、岡泉の本田下遺跡から見つかったおよそ7,000年前の縄文時代早期後半のものです。
土器・土偶
↑土器と土偶
今から、約6,000年ほど前の縄文時代前期になると、白岡にはいくつものムラが作られるようになります。白岡のタタラ山遺跡からは、40軒にのぼる家の跡が見つかり、たくさんの土器や石器とともに30数点の耳飾りやペンダントが出土しています。
40軒という家の数といい、30数点という装飾品の数といい、同じ時期の遺跡としては飛びぬけて多いものです。また、装飾品類は、瑪瑙(めのう)や滑石(かっせき)など、白岡では手に入れることのできない石で作られていることから、タタラ山遺跡はこの地域の拠点となる大きなムラで、祭祀や交易の舞台として繁栄していたのではないかと想像されます。

ペンダント
↑耳飾りとペンダント(タタラ山遺跡)
今日のように、鉄道や幹線道路が町域を縦貫し、にぎやかな町並みが形作られる遥か以前、白岡の地にまぼろしの縄文の街が存在したかもしれないのです。
参考文献:『白岡町勢要覧』(白岡町発行)

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