<円空、そして新井白石の統治>
・白岡町の歴史-
原始
・白岡町の歴史-
白岡町の歴史-古代~中世
戦乱の世も終焉を告げ、江戸時代になると白岡の歴史にも心あたたまる記憶が増えてきます。その中で2つの事蹟を紹介します。
江戸時代初期に生まれ、諸国を行脚しながら仏像を彫り続けた円空上人。その生涯に12万体もの仏像を彫ったといわれ、スギやヒノキを鉈(なた)で断ち割 り、鑿(のみ)で仕上げていく″鉈彫り″という刀法で、こぼれあふれるような慈悲深い微笑みを抱いた仏像(円空仏)を各地に残したことで有名です。
↑円空仏像
円空が各地に残した円空仏が現存しており、町内に残されています。西の杉崎家では「旅の坊さまが泊めてもらったお礼に残された」と言い伝えられています。いずれも、手の平にのる仏像ですが、その素朴な仏像からは円空の心の温かさが伝わってきます。
時代は更に下り、江戸時代中期、六代将軍家宣の政治顧問となり、さまざまな政治改革を行った新井白石。
世に「正徳の治」といわれ善政の手本とされる政治を指導した人物です。
その新井白石は宝永6年(1709)に野牛村500石の領主となりました。白石の民政は、権力で領民を支配するものではなく、道徳的な教えを説いて治めたといいます。
↑白石堀
また、水利が悪く洪水に悩まされ良好な農地ではなかった野牛村に、排水を良くする水路を掘り、収穫を向上させたとも言われています。 「白石堀」、「殿様堀」と呼ばれた水路は、現在も野牛に残っています。
参考文献:『白岡町勢要覧』(白岡町発行)
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